NY地下に住む社会から見捨てられた母娘の物語「きっと地上には満天の星」

きっと地上には満天の星、親子関係を考えさせられる映画、厳しいアンダーグラウンドの世界。

この物語はタイトルから想像していた内容とは、全く異なる映画でした。

そして人によって、さまざまな解釈を得られる映画だったと思います。

そんな本作の見どころを2つに絞ってお伝えしたいと思います。


Contents

大まかなストーリー

とある事情で社会から弾き出された母娘、ニッキーとリトル。2人はニューヨークの薄暗い地下で、ギリギリの生活を送る人々と共に暮らしていました。そんな人々を行政は不法住居者とみなし退去させようとします。地下に住む人々は住み慣れた場所を捨て、新たな生きる場所を探すため次々と地下を後にしていきます。ニッキーとリトル母娘も例外ではありません。

ニッキーは5歳のリトルを連れて地上に逃げ出そうとします。しかし、リトルにとっては地下の生活こそが温もりや安心を感じられる場所でした。初めて見る大都会の光景。そこで2人が地上の暮らしに翻弄されてしまうお話です。

結末は伏せるとしますが、タイトルからして「社会に捨てられた母娘が地上に出て、満天の星を掴む物語」を想像してしまいます。

しかし地上のリアルを残酷にも突きつけられるシーンが数多くあります。探せども探せどもどこにも星など無い。地下から見上げる星こそが最も美しかったのです。

実はこの映画は原案があります。地下コミュニティへの潜入記で「モグラびと ニューヨーク地下生活者たち」(ジェニファー・トス著)という本をもとに作られています。なので徹底したリアルの描写が苦しくもなります。

一度レールから外れた人達は戻れない社会のシステム。弱者からひたすら搾取する闇のビジネス。そして子供は親や生活環境を選ぶことはできないといった残酷な事実。

これらは介護や借金問題に関わっていると「実際にあるよな」と頷きたくなるシーンでした。


見どころ①

なんと言っても主人公リトルの純粋さです。

リトルは母親から「あなたには羽が生えてくる。そしていつか自由に羽ばたける日がやってくる」と聞かせられ育ってきました。それを疑うことなく信じているリトルは、いつか自分の背中には虹色の羽が生えてくると信じ込んでいるのです。そして母親ニッキーにも羽が生えており、普段は人から見えないように、背中にしまっていると信じているのです。

しかし現実は社会から隔離され、学校にも通えず、まともな教育も受けていないリトルは、このまま成長していっても社会に適応できず、過酷な運命が待っていることは誰の目にも明らかでした。

しかし母親の言葉こそ真実と疑わないリトルに純粋さと哀しさを感じてしまうのです。


見どころ②

もう1人の主人公、母親ニッキーの不器用で歪んだ愛情です。

親というものは時にその愛情ゆえに、歪んだ価値観を子供に植え付けてしまうのかもしれません。そして子供のことを思うあまり、結果的に誤った判断・行動をしてしまうのかもしれません。

このニッキーは社会から弾き出されてしまっているのですが、元々は麻薬中毒者です。非合法的なビジネスをしていた過去があります。麻薬中毒者になってしまった背景は描写されていませんが、ニッキーが地上に出て頼れる場所は昔のジャンキー仲間しかいないのです。

冷静に考えれば「行政や福祉施設なりに相談して保護してもらえよ」と突っ込みたくなりますが、ニッキーにはそれが出来ない理由があります。それは保護されると、娘と引き裂かれることが自分で分かっているからです。住所もなく職もない。さらには麻薬中毒者であるニッキーに親権が認められるはずもありません。保護されればリトルは施設に引き取られ、下手をすると2度と会えなくなってしまいます。

それだけは絶対に避けたいニッキー。彼女にとって娘は全てなのです。

しかしリトルは、この母親の元にいる限り、この生活から脱出する術はありません。娘のことが愛しいあまり、他人との接触を絶ち公的支援を頑なに拒むニッキー。そしてかつてのビジネスに再び手を染めていく。

このニッキーを毒親と斬ってしまうことは容易いですが、現実世界にもこういった事例は少なくないのではないでしょうか?本人もこの道から抜け出したい。娘との暮らしも維持したい。しかし何一つ得られず様々なものを失っていく姿に、悲しさ、憐れみ、怒りといった様々な感情が芽生えていきました。

また、この何も持たないニッキーすら食い物にしようとする者が現れます。さらにはリトルですら金を産む金の卵としか見ていない者。

ここまで堕ちてしまった人たちは、徹底的に奪われ選択肢すら与えられないという現実がリアルに描かれています。


他人事ではなかった

この物語はニューヨークの地下で暮らす母娘の物語ですが、所々にわたしの両親と重ねて見てしまう映画でした。

わたしの両親はそれぞれ離婚歴があり、わたしは高齢で授かったひとり息子です。ゆえに可愛くて仕方がなかったのでしょう。それは絵に描いたような寵愛と偏見にどっぷり浸かって育ちました。

身の丈に合わない教育を施してでも有名大学に入学させ、旧財閥系企業に入れることが両親の夢でした。普通のサラリーマン家計で、働きたくないお嬢様育ちの母。収入以上の使い込みに加え、異常に教育に投資していく実家の家計が破綻するのは時間の問題でした。

これは勉強に限らず、スポーツなどでもあるのではないでしょうか?

また交友関係にも強い制限をかけられました。いわゆる頭の良い子としか遊ぶことを許されなかったのです。両親はわたしに羽を生やそうと必死だったんだと思います。(そんな教育が上手くいくはずもなく、思春期を迎えたわたしは激しくグレることになります)

また、両親は高額の借金を背負っているのですが、過去に様々な支援の手が差し伸べられていました。

銀行からの借金減額の提案、弁護士からの不服申し立てや任意整理の提案、行政からの生活保護などなど。これら全て両親は反故にしてきました。

理由は何も手放せなかったからです。

家には住み続けたい。1円だって損したくない。世間的に聞こえが悪いことはしたくない。よくわからず面倒な手続きはしたくない。そうこうしているうちに、全てを失い倒れてしまいました。


話が脱線してしまいましたが、この「きっと地上には満天の星」は親子関係を考えさせられる映画です。

また、国は違えど社会的弱者を取り巻く、残酷で厳しい環境を知ることもできます。

「親子の絆を描いたヒューマンドラマ」というふうに感じる方もいたり、わたしのように「実の親との関係を思い返すきっかけ」にもなる映画です。

上映している映画館は少ないのですが、是非ご覧になってみてください。

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