「認知症世界の歩き方 認知症のある人の頭の中をのぞいてみたら」認知症の人の気持ちに立てる、読みやすい本

この本のおかげで、『父に対して湧き上がっていた、怒りの感情』が落ち着きました。

認知症の家族と接していると、こう感じることがあるのではないでしょうか?「ちゃんとやってくれない」「なぜ、こんなにも皆が困ることを」「いつからこんなに怒りっぽく?」「なぜ、自分を疑うのだろう?」「もう会うのも嫌」。

認知症がそうさせていると頭で理解しつつも、父が放つ激しい言動に怒り、悲しみ、傷ついたりします。そのたび「頭と心は別なのか?」と感じていました。

この本は『認知症のある方が生きている世界』を実際に見られるようにというテーマで書かれています。堅苦しくなる専門書や、認知症と関わっている家族のエッセイが多い中、約100人のインタビューをもとに旅行記のような形で書かれています。不謹慎な表現をあえてするならば「楽しみながら認知症の世界が理解できます」。

認知症は今のところ、治す手立てはなく、遅らせることがやっと。時間をかけながら「知っている親がどこか遠くへ行ってしまう」ような気持ちになります。「認知症の世界の理解」は、認知症がある方やそれを支える家族の大きな支えとなります。

Contents

見どころ

認知症の方に起きがちなケースを、具体例を踏まえて旅行記のように書かれています。

例えば「入るたびに泉質が変わる七変化温泉」のツアー。認知症の方の『入浴』とはこんな世界だったのか!これが理由で何週間も入浴しなかったのか!と認知症側の気持ちに立って行動を理解できます。病院で認知症の症状のひとつに「入浴拒否」があると説明はされました。しかしその理由が、身体感覚のトラブルで「極度に熱く感じたり」、空間認識のトラブルで「服の脱着が困難になっている」とは想像にも及びませんでした。

この本を読むまでは「なぜ、そんなに汚い格好をしているんだろう」「認知症でお風呂も入れなくなってしまっているのか」程度の理解・共感でした。

「ああ、父が見ている世界はこうなんだな」「きっと不安でたまらないんだろうな」そう思える瞬間が訪れました。それだけでも救いになります。そして穏やかに接することができます。

もちろん認知症を取り巻く世界は、そんなに単純なものではないと思います。認知症を発症するまでの、本人の生き方。家族との関わり方。言われたこと、されたこと。言ってしまったこと、してしまったこと。本を読むだけで許せたり気持ちが変わるものでもないと思います。それでも、相手の見ている世界が理解でき、なぜそのような言動に至ったかのメカニズムが理解できるだけで、わたしは気持ちに余裕が生まれました。

認知症以外の人にも

認知症以外でも、記憶障害や身体機能がうまく働かないなどで、息苦しい生活を送っている人がいると思います。そんな人も救いになるようなところがありました。

例えば、わたしは数年前に「記憶障害」に悩まされました。どうやっても「人の顔が覚えられない」「商業施設などに入ったら、出口がわからなくなる」「何回やっても料理を焦がしてしまう」など。ハタから見たら普通の人。でもなんか鈍臭い。頼んだ仕事できていない。それが積み重なると、いい加減な人。不誠実な人。怠け者。そうして、どんどん自信もなくなり生きにくい世界となってしまいました。

当時は「本当の自分は、いい加減で怠け者なんじゃないか」と思うようになっていました。今、こうしてこの本を読むと「あのときの行動は、この機能がうまく働いていなかったからだ!」と救われるような気持ちになれます。病院へ行っても「どこにも異常はないです」と言われ、「異常がないのならば、社会不適格なのではないか?」と苦しんでいた自分が許された気がしたのです。

今でも何が原因で、結局何だったのかよくわかっていません。しかし当時「急に色々なことができなくなって、苦しんだこと」は事実です。明確に病名が診断されないと「後ろめたさ」があったり、「実はサボっているだけじゃない?」「苦しいのはみんな一緒。それでもみんな頑張っている」という言葉に押しつぶされそうになります。

認知症に限らず、『何かしら心身にトラブルが起きている人が見ている世界』を伝える方法があったら、もっと世の中は生きやすくなると感じさせてくれる本でした。

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