母が特養に入居して①

青峰団地、唐孔雀園、母が特養に入居して
母が入居している施設から一望できる景色

母が特別養護老人ホーム(特養)に入居して2ヶ月が経ちました。この2ヶ月でわたしたちの家族にどのような変化が起こったかをお話しします。

また、このシリーズとして「入居して母とその周囲がどうなっていったか」を継続的にレポートしていこうと思います。正直どうなっていくかわかりません。ひょっとしたらまた何かの病気で入院するかも知れません。社会福祉制度が変わり、費用の捻出が困難になるかも知れません。いずれは医療的な判断を求められるかもしれません。その都度できることをやり、自分の家族を最優先としながら最良の判断をしていきます。

その辺りのリアルな体験をお話しすることで、介護に悩む方々の灯台となれたらと思っています。

今回は入居前後で特に「生活が変わったな」と感じたこと4点をお話しします。

Contents

入居前の両親の状況

母は数年前「脳梗塞」で倒れました。仕事先の病院で倒れたため、迅速な処置を受け一命は取り留めたものの、左半身が麻痺する障害が残ってしまいました。その後退院し、父が自宅で介護する生活を送っていました。二人暮らしで父は80歳、母は74歳です。

次に何か起きたら、両親たちだけで暮らすことは難しいだろうと思っていました。しかしその「次に起きたら」が最後になる可能性もあります。父の判断力も年々低下しており、母の介護も十分には出来ていないことは予想していました。デイケアやヘルパーさんなどの介護サービスは利用していたものの、緊急時は父が対応しなくてはなりません。その父に何かが起きれば、母と共倒れするという構造に常に不安を抱えていました。地域との関わりもない両親。最悪のケースでは2人して亡くなっており、死後数日経ってから発見される可能性もあったのです。

「わたしが同居して介護すべきか?」「しかし、それは長期的に考えて現実的なのか?」「両親は施設に入れるほどの貯金はしているのか?」そうこう考えているうちに月日は流れ、年々両親は歳をとっていきました。そして恐れていたことが起きます。母が自宅で転倒し骨折、その状態で父が1週間放置するという事態が起きてしまいました。結果母は入院、父も入院することになりました。

生命の安全が守られたという安心感

田主丸中央病院、母が入院、親が特養に入居して

幸い命に別状はありませんでしたが、完全に後手の対応となってしまいました。しかし、どうやって未然に防げばよかったのか未だにわかりません。当時は母は「この家にずっと住み続けたい」と言っており、父も「自分が面倒見るから大丈夫」と言っていました。

わたし的には施設入居の方が安心でしたが、本人が家で暮らしたいという希望があったこと。施設入居できるほどの貯金がなく、自分も手出しするほどの余裕がなかったため、現状のまま様子を見ることにしたのです。

入院してからは、入院費やその先の施設費をどうするかという問題には頭を悩ませました。しかし「母の安全面」という観点では、かなり安心することができました。病院や施設にいる限りは衣食住の安全が保証されています。

それまでは父が買ってくる惣菜を不定期に食べ、処方されていた薬も飲まず、リハビリも熱心ではありませんでした。それが毎日薬を飲み、リハビリに励んでいます。顔色も良くなり、入院前よりも健康状態は良くなりました。わずかですが杖で歩行できるようにもなっています。

生活サイクルが元に戻った

もう父に頼りながら、母の介護を続けるわけにはいきません。そうなると「どこの施設に入れる」「どうやって費用を捻出するか」「そもそも利用できる介護サービスは何があるのか」を考えなくてはいけません。

担当のケアマネージャーさんも協力してくれますが、自分でやることも非常に多いです。施設に入居申込に行ったり、市役所に相談に行ったりと、平日の昼にさまざまなところに行かねばなりません。それに加えわたしの場合は同時期に、父が入院したり、癌の疑いが出たり、認知症で暴れ回ったりと様々なことが重なりました。

病院は施設によりますが、入院できる期間が決まっています。多くの病院は3ヶ月以内には退院することになります。そうなると再び実家に帰らざるを得なくなります。その前に入居できる施設を探さなくてはなりません。しかも長期的に支払いができる施設でです。時間との戦いでした。当時は日常のほとんどを両親関係に費やしており、始発で実家へ行き終電近くで帰る。帰っても各種申請書などの書類を書いたり、介護制度の調べ物をしていました。側から見たら少しピリピリしていたと思います。家族にはかなり助けてもらいました。

介護施設は基本的に「在宅介護を目標に心身の機能回復、活動の向上を行う施設」です。病院での医療措置が落ち着いたら入居し、リハビリを継続して、元気になってお家に帰ることを支援するところです。なので終の住処となれる施設は実は少ないのです。入居期間が無期限の施設は実は2つしかなく、それは「一部の有料老人ホーム」「特別養護老人ホーム」です。有料老人ホームは入居一時金を含めると、大変高額になってしまいます。そのため「特養一択」で探すことになりました。基本的には申し込み先の住所に制限はないので、市内に限らず広く当たったのを覚えています。

入居順は先着ではなく「入所判定会議」と「部屋の空きのタイミング」によって決まります。運よく入院中に費用の安い「特養」の入居が決定しました。そしてようやく施設探しが終わり、今まで通りの生活サイクルに近づいてきたのです。

特養の入居条件や費用などは、また後日にまとめてアップしようと思います。

親の特養の入居申込、かけずり回る、母が特養に入居
地方の施設は郊外にあります。大袈裟でなくバスも通ってない場所を歩き回って申込に行きました

両親の資産が管理しやすくなった

入院前は、両親がどれくらいお金を使っているかが不透明でした。毎月いくら使うかは完全に両親次第。買いたいものを好きなだけ買えば、その分支出は膨らみます。そうやって一切の貯金をしてこなかった両親です。

それが入院、施設入居することによって本人たちが自由にお金を引き出せなくなりました。支出は入院費と保険料や公共料金などの固定費です。わたしとしては非常に管理しやすくなり、お金が貯まるまでは行かなくとも、ようやく浪費が止まりました。

そして、両親の毎月の収支を管理することができるようになったのです。

防犯・防災面で安心

実家で両親が二人暮らしをしていたときは、台風や地震のときは直撃しないように祈るばかりでした。実際に地震や豪雨が直撃して避難警報が発令されても、両親は避難することはできなかったでしょう。

両親の気性の荒さや気難しさも災いしており、ご近所や行政や福祉関係者とも疎遠になっていました。田舎というコミュニティーで自ら孤立化し、老老介護をしていた両親。老人を狙った詐欺も横行しています。

そんな脅威からも両親は守られたのです。

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