親を精神科に連れていく方法
認知症の家族が最初に当たる壁として、「どうやって病院に連れていくか?」という問題があります。これはなかなか大変だと思っています。しかし、認知症の診断がおりなくては治療もできない。介護サービスも利用できない。そして認知症は確実に加齢とともに進行していきます。
そのままにしておくと、新たな問題が発生していきます。
例えば、「自身のお金の管理ができず散財する」「詐欺に遭いやすくなる」「怒りっぽくなり対人トラブルが発生する」「徘徊中に怪我をする」などが挙げられます。
「うちの親は認知症かも?」と思い様々なところで相談しても、「一度、精神科を受診してください」と言われ終わってしまいます。
しかし、多くの認知症を発症した親はこう言います。
「自分は大丈夫」
「頭はしっかりしている」
「精神科など行かなくていい』
無理に受診させようとすると馬鹿にされていると感じ、関係が悪くなってしまうこともあります。
病院に連れて行かないと始まらない、認知症の治療。
私の体験から、どうしたら良いのかを3つのパターンでお話ししたいと思います。
Contents
親との関係と、本人の自覚で難易度が変わる
難易度を左右する要素は、親との関係性と認知症の自覚だと思っています。
3つのパターンでそれぞれ対応をご紹介します。
①親との関係が良好で、本人に認知症の自覚がある(難易度★☆☆)
一番理想の状態です。一緒に病院に付き添ってあげましょう。認知症を宣告されると、本人は傷ついている場合があるので、診察後のフォローもしっかりと。
②親との関係が良好で、本人に自覚症状が無い(難易度★★⭐︎)
連れて行き方によっては、関係が悪くなる可能性があります。本人を否定せずに行動に焦点を当てて、受診の必要性を説明してみましょう。(例)「同じものを何個も買っているから、一度医者に診てもらおう」実際に言ったことではなく、現物が証拠として残っているような行動を話すと良いです。言ったことに焦点を当ててしまうと、親の短期記憶が低下している場合「言った」「言っていない」の水掛け論になってしまう恐れがあります。また、騙して病院に連れていくのも逆効果です。バレてしまったときに信頼関係が壊れ、今後の治療に悪影響を及ぼしたり、病院に行くこと自体に『拒否反応』が出てしまう恐れがあります。
③親との関係が悪く、本人に自覚症状が無い(難易度★★★)
これは本当に骨が折れます。相当な覚悟と労力が必要になります。関係が悪いので親には「お前に言われたくない!」といった心理も働きます。この状態になると正攻法では上手くいかない場合もあります。場合によっては「嘘も方便」も必要になってきます。この状態になると、病院や福祉関連者との事前打ち合わせも必要になってくるでしょう。本人に気になる病状がある場合は、「その診察と称して連れて行き、事前打ち合わせしていた病院に認知症の検査をしてもらう」といった手段も有効です。
親との関係も悪く、認知症の自覚が無かった父の対応例
実際のわたしの父のケースです。もともと関係が悪く、父は「家族では自分が1番上」という価値観の典型的な頑固親父でした。口癖のように「俺は頭はしっかりしている」と言い、わたしは認知症が進んでいくとどうなってしまうんだろう?と思っていました。そして遂に恐れていたことが実現します。久々に帰る実家はゴミ屋敷となっており、何日も風呂に入っていない父がいたのです。
本人が「大丈夫」と言い張り、認知症に限らず、全ての診察や健康診断を長年拒み続けた父。しかしそれも終止符が打たれます。何年も不摂生を続けた結果、持病の『鼠径ヘルニア』が悪化し歩くことも困難になってしまいました。
初めて本人から「病院に行きたい」と言い出したので、この機会を逃したら二度と精神科受診ができないと思い綿密な根回しと事前準備を経て受診してもらいました。手術や入院前後の検査の一環として認知症の検査をしてもらったのです。結果は「アルツハイマー型認知症」でした。
具体的にはこのようなことをしていました。
□病院の主治医に限らず、病院のソーシャルワーカー、病棟看護師、医療事務など、ありとあらゆる人に現状を伝え「認知症検査をして欲しい」と懇願する。
□精神科受診日が決まったら、精神科の予約表では行かなくなる恐れがあるので『ダミーの予約表』を作成した。
□当日になって行かない、暴れることも予見できたので福祉関係者の方に家まで来てもらう。
□通院途中で逃げ出す恐れもあったので、タクシーを使い、逃げられないように横についた。
なぜここまでやったかというと、大阪のある事件がきっかけです。当時、大阪で「精神科に通院していた患者が、通院先を放火して多くの犠牲者を出す」という痛ましい事件が報道されていました。わたしにはその事件が人事に思えなかったのです。認知症が進み攻撃性が増していく父を見て、「このままでは、父はいつか加害者になってしまう」と思っていたのです。外で何か気に入らないことがあれば、人に食ってかかっていく父を見て、「父のやりたいようにだけではいけない」と決心したのです。