親が『自分達の老後』に備えず不安だった
親が脳梗塞で倒れ、障害を持つようになってから1番辛かったこと。それは『自分達の老後の備えをしない』ことでした。健康に気をつけて生きるわけのもなく、節約するわけでもなく、ただ毎日好きなことを好きなだけ。これには正直、気が滅入っていました。
親の健康や預金を、コントロールしようと試みた時期もありました。しかし親子とはいえ、別の人格と価値観を持った他人。24時間で監視できるわけでもなく、浪費や不摂生は管理できませんでした。
母が入院したときに、初めて通帳を見て驚愕しました。それはまるでアルバイトもしていない学生の通帳。預金は無く、入ってくる年金をきれいに使い切っていました。「この先、どうなってしまうんだろう?」強い不安が頭をよぎりました。
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わたしの両親
少しだけ、わたしの両親の紹介をさせてください。
父
戦時中生まれ。高卒上がりの通信系の技術屋。自分の仕事に誇りを持っており、海外勤務も経験。単身赴任で全国を飛び回る。早期退職制度に応募し55歳でリタイヤするも、年金受給が60歳から65歳に引き上げられ無収入の数年間を過ごす。酒・ギャンブルをこよなく愛す。
母
地主の娘。軍需産業系の土建屋に生まれる。典型的なお嬢様。かなり裕福な幼少期を過ごす。専業主婦。やや買い物依存症で「欲しい!」と思ったものは借りてでも手に入れる。ジャンクフードをこよなく愛し、毎日「プリングルス」のロング缶を食す生活を送り続ける。死ぬ前に食べたいものはマクドナルド。
夫婦仲は極めて悪いです。どの程度悪いかというと、お互い話したくないので「わたしの携帯に電話してきて伝言させる」レベルです。「カーテンを閉めてほしい」など、ちょっとした日常の頼み事を、遠方の息子の携帯に電話してきて伝言させるのです(笑)
当時の両親の様子
母が脳梗塞で倒れ、要介護2の判定を受け、父が在宅介護をすることになりました。そのときに両親の収支管理を試みました。一度は通帳を管理したのですが、父が「強いストレスがある」「お前が使い込んでいる」と言いだし、断念しました。わたしも仕事で忙しく、そこまで踏み込む余裕がなかったこともあります。
父にこう尋ねたことがあります。「お母さんを施設に入れることは考えないの?入れる施設とかあてはあるの?」すると、こんな返事が返ってきました。「施設は兄貴に聞くから大丈夫」「お前は心配せんでいい」
母にはこう尋ねたことがあります。「お父さんも倒れたら、生活はどうするつもり?」すると、こんな返事が返ってきました。「どげんかなるやろ?」「あんたが長男やけん、しっかりせないかんよ」
お先真っ暗とはこのことでした。わたしは「どげんかなる訳ないやろ」と思っていました。今思えばこの時期が1番苦しかったです。
母の介護認定は「要介護2」。これでは費用の安い『特養』には入れません。有料老人ホームになると、月の利用料は15万〜30万。一時金は100万も必要とするところもあります。両親の年金収入は合わせて23万。しかも無貯金。さらに昼から酒を飲む父。脳梗塞で入院したにもかかわらず「マーガリン入りレーズンロール」を毎日食べる母。誰がどう考えても、どうにもなりません。
結果、どうなったか?
7年後、2人して倒れました。
相変わらずの無貯金。さらに3000万円の借金まで発覚しました。恐れていたことが現実になったのです。父からの「後は、お前が全部やれ」の電話とともに『遠距離 両親同時介護生活』がスタートしました。
1番の不安は『お金』でした。見捨てるわけにもいかず、かといって2人の医療・介護費を負担するなど到底できないと思っていました。介護は「お金の見通し」がたつと、心理的負担はかなり軽減するように思えます。また次の機会に「リアルなお金の話」をしたいと思います。