介護と切っても切れないストレスコントロール
介護の旅は長いです。
まるで「ゴールのないマラソン」のようです。
親が生きている限り続く『介護』。
継続できる「仕組み」を作ることが大切です。
今回はストレスコントロールが「なぜ大切か?」「どうやればよいか?」をお伝えしようと思います。
Contents
なぜ大切か?
そもそもに介護は「しんどい」からです。
突然日常が変わってしまう介護を、「しんどくない」と感じる方は少ないのではないでしょうか?
介護は親が生きている限り続きます。「介護する側が精神的にも肉体的にも倒れない」ことは双方にとって非常に重要です。
わたしが何を「しんどく」感じていたかというと、
「知っている親が徐々に壊れていく様子を見る」
「認知症で人が変わったように凶暴になる」
「お金の問題」
「突然の呼び出しで自分の予定が全く立たない」
「育ててもらった恩に報いねばというジレンマ」
「親族、家族と両親との板挟み」
などなどなどなど。。。。
介護を取り巻く環境は、社会福祉制度があると言っても依然として厳しいです。
社会保障費が膨らむ中、「施設」→「在宅」という政策誘導もあります。また、親自身が住み慣れた「在宅介護」を強く望むといった側面もあります。そうすることで専門家の領域を自宅で自分でやらなくてはいけない。他には介護休暇をとりにくい。親の面倒は長男が見なくてはいけないといった風習。介護者にかかる心理的負担は人それぞれですが、計り知れないものがあります。
警察庁の資料によると、介護・看護疲れによる自殺者が増加しているそうです。そのため「自殺の概要資料」に「介護・看護による疲れ」が項目に追加されたほどです。
「しんどいけど自分が頑張らないと!」
その考え方を一度リセットすることが、介護の良いスタートのように思えます。
どうすれば良いか
では、実際にどうやってストレスコントロールをしていたかというお話をします。
一番オススメしたいのは『積極的休養日を作る』ことです。
意識的に何もしない日を作るのです。頑張ればできるんだけど、あえて今日は頑張らない。そんな日を作ることで心のリフレッシュがかなりできました。
具体的なお話をすると、介護初期は時間があれば実家や病院、市役所へ行き対応していました。(実際は親に呼びつけられるのですが)その後に仕事を処理したり、介護に関することを調べたりしていました。介護が始まって2ヶ月目くらいに「このままでは精神的にマズいな。。。」と感じていました。ちょっとしたことでイライラするようになりました。そしてついにシャワーを浴びていると目の前が真っ暗になり気づいたら床に倒れていました。それから『積極的休養日』を作るようにしたのです。
これは実際にやったことです。「この日は休む!」と決めた日に病院から呼び出しがあ理ました。しかし「出張で○○県にいて、どうしてもすぐ行けないんです」と言って休んだのです。他には家族と旅行に行くと決めていた日に、父の問題行動で行けなくなりそうなことがありました。その日も「対応できない」と言い、予定していた余暇を楽しみました。
本当はどれも頑張れば対応できました。しかし無理をして対応することで心のバランスが壊れると思ったのです。両親に対し心のどこかで「こんなに自分を犠牲にしてやってあげてるのに!」が生まれそうなのでやらないことにしました。
もちろん「生命に関わること」「他人に危害が及んでしまうような事態」には昼夜を問わず対応します。しかし言い換えれば、それ以外のことでは自分の予定を大事にするように変えました。
その甲斐あってか、親の多少のわがままや予期せぬ事態に、困惑したりイライラしないようになりました。
他には「話せる人を持つ」ことも大事でした。友人でも家族でも良いのですが、わたしの場合はビジネスで相手してもらえるような専門家が合っていました。主に地域包括支援センターに事細かに話を聞いてもらっていました。わたしの性格だと、友人や家族に話して、期待しているリアクションでなかったら落ち込み、新たなストレスになる気がしたのです。
わたしのやっていたリフレッシュ法
ありきたりで申し訳ないんですが、趣味を楽しむようにしました。
しかし、この趣味は「健全に介護を継続するために必要な時間」という気持ちでやっていました。
これといった趣味がない方、仕事が趣味という方は、「少しでも楽しい」「介護を忘れさせてくれる」といった時間を増やしていくのが良いと思います。
それがわたしにとっては「料理」「スタバ」「ゲーム」だったのです。
ゲームは「dead by daylight」という殺人鬼が生存者を追いかけ生贄に捧げるという、介護と真逆のゲームをやっていました。(別に反動ではなく、元々がホラー好きなのです)
逆にリフレッシュに向かないなという趣味もあります。
それは「お酒」「ギャンブル」といった、依存性の高いものです。
のめり込んでしまうと新たな問題を発生させてしまう恐れがあるからです。